舞台音響のことを効果と呼ぶことがあります。効果は「舞台効果」からきた言葉です。舞台効果は音響のみならず、雪が降る・枯れ葉が舞う・火事など視聴覚効果の総称です。舞台装置/舞台照明/舞台監督と並ぶ言葉です[cite: 20]。
舞台効果の起源は、1924年開設の築地小劇場に遡ります。演出/装置/照明/舞台監督などの職域を体系化したのは、同劇団だったようです。それ以前は、音響を「擬音係」、照明を「配光」、装置を「背景図案」などとも呼んでいたそうです[cite: 20]。
|
|

築地小劇場[cite: 20]
|

『舞台監督の仕事』(1953)[cite: 20]
|
|
● 舞台効果
以下水品春樹著『舞臺監督の仕事』(1953) から引用します[cite: 20]。
舞台効果という仕事もハッキリした形では築地以前には存在していなかったようです。そうした仕事が全然なかったわけではないのですが、築地の演劇のそれは舞台裏の人々によってきわめて簡単にすまされる程度のものであったようです。ところが、演劇の表現形式が複雑化してくるにつれこの舞台効果という仕事は、新しい演劇に欠くべからざる重要なものとなり、築地小劇場がその開場同時に舞台効果という名称をこれにあたえてその機能を確立したのであります[cite: 20]。
当時この仕事にたいする適当な日本語の名称がなかったので、ステージ・エフェクトという西洋の言葉を直訳してそれをそのまま職能の名としたのです[cite: 20]。
|
秦和夫氏が、2006年の『シラノ・ド・ベルジュラック』の再演に際して、文学座通信 Vol.566に「懐かしい東横ホール」と題する文章を寄せています。往年の舞台効果の様子がよく分かります[cite: 20]。
|
■「懐かしい東横ホール」秦和夫 (文学座通信 Vol.566より)[cite: 20]
僕が劇団の技術研究生として入座したのが昭和28年。『シラノ』の「効果」を担当した頃は、入座後まだ二年だが、文学座は戦後の演劇文化復興の梯になる、と意気込んでいた。みんな若かったし、燃えていた[cite: 20]。
当時、音楽・効果音はアセテート盤といって78回転のレコード盤に溝切り録音をして再生し、キッカケに合わせてレコード針をいちいち溝の上に落として音を出していた[cite: 20]。
ブルゴーニュ座の開幕を告げる杖を打つ音やシラノがラグノオの店で、うるさい男にくわせるビンタの音は、役者の動きや科白に合わせて出したものだ。戦闘シーンでは「煙玉」という爆竹のような仕掛花火を舞台に仕込んだ。廻る舞台に倒れ込む瞬間、効果音に合わせて引き玉を引くと、ボッと煙が出て着弾する感じが出る仕組みだ。最終幕では簀の子 (劇場の天井) に登って、木の葉を落とす等、視覚効果も含めて芝居を陰ながら盛り上げようと必死だった[cite: 20]。
|
|

『白野弁十郎』(1926 有楽座)[cite: 20]
|
園田芳龍氏は『舞臺効果の仕事』(1954) で、演劇における舞台効果の構成図を発表しています。「視聴覚」ではなく「聴視覚」となっているところが面白いところです。図中の「機械的発音装置」は、電気蓄音機、磁気録音機、増幅器、拡声器、マイクロフォンのことです。真空管の時代です[cite: 20]。
『舞台効果の仕事』園田芳龍 1954より[cite: 20]
|

DENON RC-1 型録[cite: 20]
|
|
● 円盤録音機
円盤録音機は、磁気録音機が普及する前の録音方式の主力です。終戦の詔勅 (いわゆる玉音放送) の録音で使われたことでも有名です。日本電気音響製 (DENON) です。78回転10インチのセルロース盤 (アセテート盤またはラッカー盤ともいう) で、録音時間は片面3分。厚さ約1mmのアルミ基板に厚さ0.3mm程度のニトロセルロース系の塗料を塗布したものです[cite: 20]。
同社は1949年に、民生用の円板式録音機"RC-1型"を発売します。回転数は78回転と33回転の切替、録音盤は8・10・12・16吋(インチ) の4種類です[cite: 20]。
|
1950年代に入り磁気録音機が台頭すると、円盤録音機は衰退してゆきます。下表は、音盤/フイルム/磁気の各録音方式の比較です。多田正信 『磁気録音機』(1953) からの引用です[cite: 20]。
文中磁気録音の録音体形状に円板がありますが、1960年頃に日本ビクターと松下電器産業から、マグナファックスという商品名で円盤式磁気録音機が発売されています。尚ポールセン発明のテレグラフォンは"円筒形"でした[cite: 20]。
|
各録音方式の比較 (『磁気録音機』(多田正信 1953)より)[cite: 20]
● 磁気録音機
1950年にソニーの前身の東京通信工業が、国産初の市販の磁気録音機"G型"を発売します。1モータ3ヘッド、テープ速度は19cm/sと9.5cm/s の切替。最大使用リールは10.5インチ。重量35kg、価格は16万円です。当時の公務員の大卒初任給が4,223円といいますから、かなり高価です[cite: 20]。
同社はこれに先立って、マグネタイト塗布の紙ベースの磁気録音テープを発売しています。5・7・10インチの3種です。編集でテープに鋏を入れるのに許可が必要だった放送局もあったそうです。翌1951年には、可搬型の"H型"を発売します[cite: 20]。
|
|

SONY "H型"[cite: 20]
|

『ウィンザーの陽気な女房達』1952[cite: 20]
|
|
前掲の『舞臺効果の仕事』に次の記載があります[cite: 20]。
私が最初に舞台でテープ式録音機を使用したのは1951年 (※注 1952年の誤り) 1月、俳優座公演、シェイクスピア作青山杉作演出の『ウィンザーの陽気な女房たち』の時であった。林光氏作曲の音楽を日響の稽古場でオーケストラの録音を行い、それを持って帰って直にプレイバックして稽古にあわせたのである[cite: 20]。
三越劇場の開場5周年記念公演です。"日響"は、NHK交響楽団の前身の日本交響楽団のこと。また公演パンフレットには"音楽 立原洋"とありますが、これは芸大時代の林光の別名です[cite: 20]。
園田氏は「テープレコーダの出現は、われわれにとって誇張なしに大革命である」と、この利器の可能性を喝破しています[cite: 20]。
|
園田氏は、テープを利用した音の変造方法として、逆転再生/変速再生/編集/ループ再生/テープエコーを上げています。後年大野松雄氏が『鉄腕アトム』(1963〜1966) の効果音作りで活用したのは、まさにこれらの方法です[cite: 20]。
オープンテープレコーダは1970年代に全盛期をむかえます。国内で20社近いメーカが製造しています。現場で使われたのは、SONY/TEAC/AKAI/DENON/OTARIなどです[cite: 20]。
劇場では複数台を常設するのが普通でした。デジタル化の波とともに衰退し、2000年を境に、劇場から姿を消してゆきました[cite: 20]。
|
|

DENON DR-86R[cite: 20]
|

アナログ時代後期の卓周り (本多劇場 2004)[cite: 20]
|
|
● 舞台音響の時代区分
舞台音響の時代区分を考えてみます。着目点は、増幅素子と録音媒体の変遷です。増幅素子は真空管から半導体への流れです。録音媒体は、アナログからデジタルへの大きな流れがあります[cite: 20]。
大きくは、生音時代/電気時代に分けられます。生音時代の末期には、電気録音が可能となり、録音媒体として円盤やワイヤーやフイルムが使われました[cite: 20]。
一番の節目は、テープレコーダの普及です。電気時代は、アナログ時代/デジタル時代の大きく二つに分かれます[cite: 20]。
先代の末期には次代の萌芽が現れるという展開です。ある年を境に明確に区分されるわけではありません。また新しいものが現れても古いものが滅びるわけではありません。ですから年代はおおよそです[cite: 20]。
|
舞台音響の時代区分[cite: 20]
⑤のアナログ時代後期は、卓が大型化し卓周りの機材がやたらと増えました。再生機は、CD/サンプラー/MO/MDと多様化します。周辺機器にはデジタルのエフェクタが加わり、ディレイの付加が常套的に可能となります[cite: 20]。
1900年代には、水戸芸術館/銀座セゾン劇場/世田谷パブリックシアター/新国立劇場などで、次々とデジタル卓が導入されます[cite: 20]。
2000年代には小型を含めたミキサのデジタル化がさらに進み、本格的なデジタル時代を迎えます。今後の舞台音響がどういうふうに発展していくかは分かりませんが、ミキサー機能はパソコンソフトに集約されていくでしょう[cite: 20]。
|
|

デジタル時代の卓周り (文学座アトリエ 2017)[cite: 20]
|
■ 参考文献資料
『舞臺監督の仕事』 水品春樹 未来社 1953
『舞臺効果の仕事』 園田芳龍 未来社 1954
『放送夜話』 日本放送協会 1968
『オーディオ50年史』 日本オーディオ協会 1986
「国産円盤録音機物語」 阿部美春 JASジャーナル 2003-2004 日本オーディオ協会
『コンパクトディスク その20年の歩み』 CDs21ソリューションズ 2005
『テープ録音機物語』 阿部美春 誠文堂新光社 2016[cite: 20]
(ステージ・サウンド・ジャーナル 2017年7月号より)[cite: 20]