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 1994年4月に私は本多劇場で大人計画公演『愛の罰』(作・演出=松尾スズキ)を客で観ていた。男が刃物で指を詰める場面で、ある音楽が流れて思わず吹き出してしまった。映画『ピアノ・レッスン』(1993)の主題曲だった。作曲はマイケル・ナイマン。ピアノの佳曲である。映画では嫉妬に狂う夫が妻の指を斧で叩き切る場面がある。それに引っ掛けての起用だった。指を詰める悲惨と曲の美しさとの落差が場面を引き立てていた。

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■『ピアノ・レッスン』

 ナイマンの曲は、私も度々演劇の舞台に使っている。先の曲は、東京乾電池公演みず色の空、そら色の海(作・演出=竹内銃一郎)で使ったことがあった。映画が国内で封切られる前である。この芝居では誰も指を詰めないし、パロディでではない。登場人物の演劇部の女子高生達の揺れ動く気持ちに焦点を当て、テーマ曲のように使った。ところが翌々年に再演があり、困ったことになった。映画は既に公開され、その印象が強過ぎるのである。演出家と相談し別の曲に替えた。

■ 演劇と音楽

 上の例は有名な曲故だが、無名な曲にしろそれの持つ特性がある。歴史性・地域性・楽曲形式などへの顧慮は必要である。とは言え演劇の度量は大きく世界は広い。過度に堅苦しく考える必要はない。「歌は世に連れ世は歌に連れ」という言葉があるが、芝居と音楽の関係もこれに近い気がする。

 ピーター・ブルックが言うように、俳優と観客さえあれば演劇は成立する。そこに音をどう介在させるのかが、舞台音響家の仕事である。
 場面と音楽の関係を大まかに二つに分ければ、合一と離反である。寄り添うか突き放すか。後者は時に異化と呼ばれる。ともすると、結果的に得たい場面のイメージそのままを、音楽に求めてしまうことがある。しかしこれは成功しない。芝居と音楽は相互的に場面を形成する。ぴったりのイメージの音楽があっても、芝居が絡めば、全体のイメージは既に別のものとなってしまう。量子力学において、観察行為が観察対象に影響するが如しである。芝居と音楽の総体が喚起するイメージを演出することが肝要である。

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効果から舞台音響へ

 「原始、女性は太陽であった」かどうかは知らないが、音楽は踊りや掛け声と共に発生したのだろう。演劇は、宗教儀式や祭礼にその起源を求めることができる。歌や踊りのための音楽は、舞台の音楽の中でも大きな柱の一つである。

 私達は録音技術の発達のお陰で、居ながらにして世界各地のあらゆる音楽を耳にすることができる。録音されたものなら、如何なる名演奏でも、何百人のオーケストラでも、異国の歌だろうが、故人の声だろうが、いつでもどこでる再生することができる。電気の力を借りることで、演奏の開始・停止、音の大きさ・音色などを、音源のスピーカから離れた所から制御することができるようになった。これらの特長を活かして、現代の劇場では多くの音が使われている。

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■ 舞台音響と録音技術

 録音ができるようになったのは、1877年のエジソンによる蓄音器の発明以降である。再生音を自在に扱うことができるようにるのには、テープレコーダの発明を待たねばならない。国産のテープ録音機が発売されたのは1950年。これを機に音の録音・編集・再生が身近にできるようになった。

 1952年1月の俳優座公演『ウィンザーの陽気な女房たち』(三越劇場)で、テープレコーダが音響に使用されたとの記録がある。林光作曲のオーケストラ曲かせ再生された。この音響を担当し効果マン草分けの園田芳龍は、「大革命である。われわれのためにテープレコーダが発明されたようなものである」とこの利器の可能性を喝破している。

 舞台音響という職域は、電気音響の発達を基盤に発展した。今でも効果と呼ばれることがあるが、雪が降るとか枯れ葉が舞うとかと同様に、舞台効果の一環として鳥の声や波の音を出していた来歴の名残であろう。

 舞台音響の歴史は、音楽や演劇の歴史に比べて著しく日が浅い。では録音技術が発達する以前の舞台の音楽はどうであったのか。それは生演奏と決まっていた。楽士や俳優がこれを担う。チェーホフ『三人姉妹』(1900)では軍楽隊の演奏が聞こえ、ゴーリキー『どん底』(1902)では役者が手風琴を奏でるといった具合だ。作者は音の必要なところで、そのようなト書きを記すのである。歌舞伎では、声と楽器の大音楽隊が随伴する。下座は効果音も担当する。

 レコード・電話・ラジオなどが社会に普及すれば、戯曲にも反映される。これらの音は現代劇に屡々登場する。携帯電話の音をいかに本物らしく聞かせるかというのは、音響の腕の奮い所ではあるが、演劇の本質ではない。音が演劇のテーマに如何に深く絡むかが問題である。「耳に聞こえないものを聴覚化する」ことが、現代演劇における音響の本質的な役割である。

3ninマールイ劇場『三人姉妹』

※参考文献 :『舞台効果の仕事』園田芳龍 (未来社 1954)
      『わたしの音響史』岩淵東洋男 (社会思想社 1981)
      『オーディオ50年史』日本オーディオ協会 (1986)


(悲劇喜劇 2004年1月号より/特集=舞台の上の音楽)